| もう一つの見当違いはケルト文化への憧れの混入だった。東欧にはキリスト教以前のヨーロッパ世界が残存するのではないかという期待であった。それは(チェコによりも)ハンガリーに対する過剰な期待となっていた。 チェコ、ハンガリーなどを東欧と呼ぶが、このあたりの正確な呼称は中欧である。中欧はいうまでもなく、ケルト民族発生の地と推定されている。かつて、上野の美術館で「ケルト美術展」が開催されたとき、オーストリア、チェコ、ハンガリー、ルーマニアからの出展品が多数あったことを覚えている。 |

| ハンガリーについては、さらに、西欧の基層文化の一つといわれる騎馬民族への思い入れが重なった。スキタイである。スキタイの原郷は中欧よりも東、ウクライナあたりだといわれているが、彼らはインド=ヨーロッパ語を話す騎馬民族で、いまからおよそ5千年前にヨーロッパに侵入したインド=ヨーロッパ語族の一派だと考えられている。現在、インド=ヨーロッパ語系の諸語を話すヨーロッパ人は、スキタイを含む騎馬民族と、農耕民である原ヨーロッパ人の混血であるという推測もある。 |

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私の頭の中では、かつてローマと戦った「フン族」がスキタイ系騎馬民族と重なっていた。更に、ハンガリーというのは、フン=ガリアの転化だという説にも魅せられていた。(ただし、現在のハンガリー人の祖先であるマジャル人は、騎馬民族ではあるがアジア系民族で、スキタイとは異質であるらしい。マジャル語はインド=ヨーロッパ語ではなく、ウラル=アルタイ語系に属している。) フン族やスキタイにまで遡らなくても、ハンガリーがアジア系であるというだけで、それはロマンティックな気分をそそるものだ。ヨーロッパとアジアの接点であるハンガリーには、欧州の基層にアジアが隠されているかもしれない、キリスト教以前の原始ヨーロッパをのぞめるのではないか、そんな期待が私を支配した。 |

| 反スターリニズムの先駆者、ヨーロッパの辺境、アジアとの接点、原始ヨーロッパの光芒・・・こうした観念性が東欧旅行を決定した要因である。しかし、知識先行の思い入れは旅行の阻害物であるばかりか、手前勝手なイメージの増殖が現実と齟齬を起こし、旅行を失望に終わらせることもなくはない。そもそも、学者が構築した学問的な仮説が現存する生活や風景から導き出されたのは、19世紀後半、民族学の黄金期までだろう。いわんや、わずか数日滞在の旅行者が体験できることではない。21世紀型に私の頭の中を整理する必要がある。 |
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