20世紀も終わりに近づくにつれ、冷戦構造の崩壊が現実のものとなった。そして、米国とともに世界を二分したソ連が消滅した。その消滅はあまりにもあっけないものであり、革命や事件と呼ぶことすらはばかれるほど貧困な出来事だった。

ブルノ(チェコ)

チェスキークロムロフ(チェコ)

ソ連消滅後、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ルーマニアといった旧ワルシャワ条約加盟国(かつて「鉄のカーテン」で仕切られた東側)は西欧に急接近し、日本からも観光ツアーが組まれるようになり今日に至っている。われわれの若かれしころ、だれがソ連・東欧の社会主義圏の消滅を予期しただろうか、だれがこれらの国に観光旅行に出かけることを・・・

プラハ市内(チェコ)

世界秩序の急変は私の東欧に対する認識不足を露呈させた。かつて、東欧が旧ソ連圏に属していた時代、私の東欧情報は貧しいものだった。チェコの首都プラハはカフカが暮らした街であることぐらいを、また、ハンガリーはリストなどの著名な音楽家を生んだ国ぐらいの認識しかもち得なかった。

チェスキークロムロフ(チェコ)

無知はイメージを勝手に増幅させる。東欧というところは夏であっても暗く寒く、街には人影も少なく商店もまばら、バロック様式の古い建物が寂しく佇んでいるに違いない。そんな幻景が私の頭の中に育まれ、蒸し暑い夏の東京を離れ、静謐な欧州の辺境の街を歩きまわることが東欧旅行の「目的」となった。
見当違いの過剰な期待は、ガイドブックを買っては見たものの、あるいはインターネットの旅行情報をのぞいては見たものの、そこにある情報を一片たりとも寄せ付けなかった。

back

top

next