| ある世代にとって、20世紀中葉、東ヨーロッパで起こった2つの事件は特別な意味を持つ。その事件とは1956年の「ハンガリー動乱」と1968年の「プラハの春」。前者の発生は私の幼年期に当たりリアルな記憶はないが、後にそれが歴史的大事件であることを知った。後者の発生は青春期に当たり、世界的規模でスチューデントパワーの嵐が吹き荒れていた時代だった。日本にも、全共闘運動という体制変革のエネルギーが噴き出していた。 |

プラハ市内(チェコ)

| 57年と68年の事件の共通点は、反スターリン主義(国家的には反ソ連主義)だ。日本でも、1960年前後から「反スターリン主義、反代々木(反日本共産党)」の意識が高まり、60年代後半の全共闘運動に至ってその意識は最高潮に達した。ただ、そのような運動の興隆はあっても、当時の学生大衆(私も含めて)には、ソ連の崩壊、消滅など思いもよらなかった。むしろ、スターリン主義ソ連と帝国主義米国をともに打倒するということが、夢見られた世界革命――そのころの新左翼運動の基本的なスローガンだった。 |


| だから、ソ連に公然と反旗を翻したハンガリーが、そしてチェコスロバキア(チェコとスロバキアの分離は1993年)が、相次いでソ連軍によって制圧されたことを知ったとき、この二つの国は永遠にも等しい距離をもって私から遠ざかった。ソ連にはもちろん、ハンガリーやチェコスロバキアを訪れることはあり得ない、いやあってはならないことだと。 |