イタリア旅行日程(2008年9月)

Sep-21-23-2008(3日目・4日目・5日目)
Ravenna:

そんなわけで、ラヴェンナについては、観光スポット別に旅行記を編集していく。
市街地の主な観光スポットは次のとおり。

(その1)街の北西部=サン・ヴィターレ聖堂、ガッラ・ブラチデイアの霊廟、国立博物館

(その2)ポポロ広場の南=ダンテの墓、サン・フランチェスコ教会、
     サン・タガタ聖堂、大司教博物館と礼拝堂、ネオーネ洗礼堂、ドゥーオーモ

(その3)ポポロ広場の東南=スピリト・サント教会、アリウス派洗礼堂、
     サン・ジョヴァン二・エヴァンジェリスタ聖堂、
     サンタ・ポッリナーレ・ヌオーヴォ聖堂、テオドリクス宮殿、
     サンタ・マリア・インボルト聖堂、市立絵画館

ここまでが市街地で、いずれも徒歩でまわることができるが、
所要時間については、各人の好みと判断による。

郊外では、次の2箇所だが、サンタ・ポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂は必須である。

(その4)サンタ・ポッリナーレ・イン・クラッセ聖堂
     ※中心地から南2キロ(タクシーで5~6分・バスで15分くらい)

(その5)テオドリクスの霊廟、ブランカレオーネ(ヴェネチア時代)の城塞(と公園)
     ※中心地から北東1.5キロ(徒歩約20分)

(その1)
●Basilica di San Vitale

サンヴィターレ聖堂はゴート族支配の527年に着工され、
完成はビザンチン帝国(東ローマ)支配の548年である。
重厚な建物とモザイクの装飾性が一体化した「ラヴェンナ様式」を代表する聖堂である。


●Mausoleo di Galla Placidia


ガッラ・ブラディチアが数奇な運命をたどった女性であることはすでに書いた。
そのことを少し詳しく説明しておこう。

409年、ゴート族の王アラリックがイタリアに攻め入りローマは強奪され、
ローマ帝国皇帝テオドシウス大帝の娘、ガッラ・ブラディチアは捕虜となった。

413年、アラリックの後継者アルタウルフォは
フランスでガッラ・ブラディチアと結婚した。
アタウルフォが亡くなると、彼女は兄(ホノリウス)のもとへ送り返され
416年にコンスタンティヌス将軍と結婚させられた。

コンスタンティヌス将軍も亡くなると、
彼女は兄のホノリウスのところへ逃げたが、
ホノリウスは重病に苦しんでおり、叔父で東ローマ皇帝のテオドシウスのいる
コンスタンティノーブルのもとへ逃げたが、ラヴェンナに連れ戻された。

ホノリウスが亡くなり、彼女とコンスタンティヌスとの間の子、
ヴァレンティニアヌス3世が西ローマ帝国の皇帝になり、
ガッラ・ブラディチアはその後見人となった。
ラヴェンナはガッラ・ブラディチアのもと、四半世紀のあいだ、平和なときを迎えた。

この霊廟は、425年から430年の間、
ガッラ・ブラディチアがコンスタンティノーブルから
ラヴェンナに連れ戻された後に建てられた。
質素な外観に反し、内部はラヴェンナで最も古くすばらしいモザイクで装飾されている。
なお、内部は暗く、撮影は難しい。

●Museo Nazionale
国立博物館は、サン・ヴィターレ聖堂に隣接している。